はじめに断っておかなければなりませんが、私は英語のネイティブ・スピーカーではありません。オランダ人特有の訛りがあり、隣国イギリスの方ならすぐに「オランダ人!」と気付きます。でも、ネイティブってよくわからない属性ですよね。日本人でも、ネイティブよりも正しい、綺麗な英語を話す人はたくさんいますし、日本人よりも綺麗な日本語を話す純白人もいます。英会話教室の中吊り広告(だったかな?うろ覚え)に「教師みんなネイティブ!」を謳っていることを見たことありますが、日本人訛りを隠す訓練をしたいという特殊なケースを除いては、あまりこだわる必要はないと思います。イギリス人とオーストラリア人は、どちらも英語ネイティブですが、会話させても最初の数分はお互いの訛りに慣れずに四苦八苦です。
何故日本人は英語が苦手なのか
さて、英語への憧れを抱きつつも、なかなか「話者」になれないと感じている方は多いです。毎年同行させていただいているCRC海外研修の参加者の方々も、語学力は様々ですがやはり「もっと」への憧れを持っている方がほとんどです。どうしたら上手くなれるのか、と聞かれることが度々あります。オランダの教育システムが良いのだろうと思われる方もいます。ですが、オランダも英語の授業は中学校からです。日本の、積極性を育むことを重要視しない教育が原因で、教わらなければ養われないという癖が付いてしまっているというところを問題視する方もいます。または、医学や情報学はじめ、日本の学習は全て日本語の教科書の使用のみで成り立ってしまうという、ウサギとカメの話の様な状態になっているかも知れません。個人的には、テレビが日本語の番組のみ、洋画は吹き替えが基本、というのも大きな原因だと考えております。バラエティー番組で、日本人タレントが外国人に英語で話すのは字幕なのに、外国人からの答えは吹き替えてしまう。はっきり言って失礼な話です。いや失敬…
ただ、この様な分析話は、お酒飲みながらワイワイする分には大変有用ですが、正直実用性はあまりないものばかりです…というのも、日本の中学校英語教師の英語力にまだまだ伸びしろがある事実、周りが全て日本語で成り立っている現状、マスメディアが内向き思考なのは、危機意識あふれる方々がいくら憤慨しても(すぐには)どうにもならないものばかりです。ちょっと偉そうなこと言いますが、「何故、今英語が苦手なのか」はさして重要ではありません。そんなの、「僕は英語ができない、だから英語が出来ないんだ!」と言っているようなものです。重要なのは「何故、一年後にも私は、英語が出来ないと思うのか」です。そっちにマインドを切り替えると、はじめて課題が見えてきます。そうなると、「僕は英語を使わない、だから一年後にも英語が出来ないんだ!」と言うことが見えてくるのではないでしょうか。何故、園児のころにはかけ算が出来なかったのに、今は出来るのか、に対する問いを「教わったから」と答えるか、「さんざん練習したから」と答えるかではその意味合いが大きく違います。フワフワしている話に感じられるかも知れませんが、「練習したから」と胸を張って答えられるようになるのが、重要だと思います。
多くのことに共通する
上記は、多くのことに共通することですので、あえてこのトピックとして語る必要は無かったかも知れません。が、私に「英語上手くなりたい」と相談を持ちかける方の多くが、(無意識かどうかはさておき)自ら英語学習を不可能にしているのでは、と思うことがしばしばあります。これは、昨今急激に人気が出ている「アルフレッド・アドラー」という心理学者の考え方なのですが、人間、本来は「劣等」から逃れようとするものだとしています。これを、英語が出来ないことで悩んでいるホモサピエンスに当てはめると、概ね次の通りになります。
英語ができないことを「劣等」だと本当に感じているのであれば、抗うはずです。抗わないのは、例えば劣等感が表向きなもの、いわゆる建前のみ、というのが一つの理由として考えられます。僕は英語が出来ない。それは恥ずかしいことだと思っている。でも僕のせいじゃない。環境が悪いんだ。「英語話せるようになりたいけど、環境が整っていないから凄く残念」と話せば、皆共感してくれる。居心地が良い。
これでは、例え英語学習の機会を他人から与えられたとしても、チャンスをつかまない可能性が高いです。上記は凄く極端な例ですが、皆多かれ少なかれ、この様な「ぬるま湯」にハマってしまっていると想像します。私自身も、来日直後は「外国人だから仕方がない」という周りの声に応えるように、「そうか、オランダで育ったから、色々とできないことがあるんだ!」という罠にはまっている時期がありました。だって、頑張って日本語でメモを取ろうとしても平仮名ばかりで周りの目が気になるし、お辞儀はぎこちないからきっと格好悪いし、敬語が使えないから失礼なメールになっちゃうし、間違いは誰も指摘してくれないし…オランダ人として周囲に身を委ねるのが、当時の自分の中で導き出した最適解でした。
英語が出来ないのは、英語を使わないから
ちょっと古い記事になりますが、ジャズダンスレッスンを開催しているダンサーさんのブログ記事にこういう一文があります:
日常生活でターンはしない;当然ですね。街を歩く時にシェネで移動していたら、その人かなりキテます。スマホ歩きよりも危険なので止めてください。或は駅のプラットホームで電車を待っている間、暇だからと言ってピルエット2回転はよしてください。あなたとの関わりを避けようとした周りの人が、線路に落ちます。このようにダンスの動きは日常からかけ離れています。それはターンとて例外ではありません。ではここで過去を振り返ってみてください。今日まで生きてきて、ダンスのレッスンや稽古、本番の舞台以外の日常で、ターンをする事があったでしょうか?殆どの人がNoだと思われます。これは何を意味するでしょうか?つまりターンする為の筋肉や反射神経、セオリー等は自然に養われることはない、ということになります。経験した事のない動作なので身体が反応しないのです。これがターンする時に身体がブレる原因ですね。
日本社会と英語の関係は、日常生活とターンの関係に似ているかも知れません。でも、実際にプロのダンサーさんって存在しています。趣味でダンスをかじっている人なんてもっとたくさんいます。
ということで具体的なアドバイス
さて、英語を使わなきゃ英語力は養われないという、最初からわかっていたことを再確認したところで、具体的にどうしたら良いのか、と言う話です。学習すると決めた上で、周りの目を気にしないのが大事です。応援する人、ちゃかす人、意地悪っぽくしてみる人、色々いると思いますが、そんなのでやる気を損なってしまったらもったいないです。きちんとした教育を受けていないからダメ、という考えは必要ないと思います。上でも述べましたが、オランダも英語教育は高等教育からです。もちろん、オランダの高等教育の教師の英語力が、平均的に日本の教師よりも高いということはあると思います。ですので、オランダの状況は飽くまで参考程度に、日本人で英語が堪能な方々の傾向としては:
読書量
これに尽きます。会話する機会は限られていますが、読書はいくらでも出来ます。英会話クラス等を通して、英語の基礎的なイメージを持つのは大事なことですが、英会話づくしにするのは費用面で大変厳しいものがあります。黙読をしていても、脳内ではしっかりと発声されますので、会話のイメージトレーニングにもなります。読書をすることで、普段からチャットやSNSに打っている英語が間違っている・ちょっと変等にも気付きやすくなります。
と言うことで、お勧めの本を二冊。辞書片手に読む…というより今だとスマホの検索機能が辞書代わりになるので、そういう点では学習がしやすい環境になってきたと思います:
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Michael Crichton著「Next」
遺伝子工学をおかずにしたスリラーです。大枠のストーリーはあるのですが、個々のショートストーリーとして成り立っている章区切りが良いです。一気に読み切らなくても、大丈夫。そして何より複雑な題材をあまり滑稽にならない具合に(コミカルだけどコメディにならない具合に)わかりやすく扱っています。
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Thomas McKeown著「The Origins of Human Disease」
大学の教科書に使われた一冊です。結構ヘビーですので、ある程度英語論文等を読んだ経験がある人向けだと思います。この本のおすすめポイントは、狩猟採集から現代人の生活の変化と、病気の歴史との密接な関連をトピックベースに紐解いて行くところです。また、英語がものすごく、ものすごく綺麗です。今でも、英語で何か書かなければいけないときに、パラパラめくってインスピレーションにしています。
参考程度に、オランダのテレビ事情についても話しておきますが、放送されるテレビ番組に輸入品が多いことが挙げられます。また、オランダのテレビ局(国営・民放の両方)で英語のドラマが放送される以外に、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアの国営放送もそのまま見られます。聞きたいときに、学習したい言語が聞けるというのは、モチベーション維持の観点からも学習上では当然大きなメリットです。ですが、日本も英語に限っていえば、ケーブルでもレンタルでも、映像作品に触れられる機会は多いと感じています。
最後に、当然ですが、わからないことがあったら「HELP」とはっきり求めることでしょうか。私も、素直にこれが出来るようになってから、日本語力が飛躍的に「まともなレベル」に近づいたと思います。
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